今日は
「1億を作った結果、ダサい生き方をやめようと心から思った話」
を自戒を込めてしたいと思います。
昨年の目標である「金融資産1億円」を無事達成
昨年の個人的な目標を、
「金融資産1億円達成」
にして、無事達成することができました。
【参考】
僕はこのフェーズに、
「投資」という手段でいくことを
最初から決めていました。
実際にクリプトと不動産が、
主な戦力になって達成できたので
いわゆる”FIRE”を1度経験してみてみました。
実際にしばらく豊かに暮らすには
十分であろうキャッシュと時間を手に、
いわゆるよく憧れられるFIRE像である
「ノンストレスな生活」を体験。
結論から言うとこれがもうほんとにダメで、
結構真剣に「自分がダサすぎて無理」だなぁと。
ダサいというのは、
表から見たファッションがダサいとか、
髪型がダサいとかそういうことではなくて、
ノンストレスという生き方が強烈にダサいし不幸
ということに全身で気づいた、という感じです。
1億あるかないかは関係なかった
ちょっとこうやって文字にすると
マジでバカみたいなんですけど、
1億っていう数字を人生のセンターピンにしてると、
いざ1億達成した時に人生の意味がなくなる
というか。
いうなれば、
大学受験みたいなかんじです。
大学受験って、人生のそのときは
大学に受かること自体が目的になっているので、
達成したあとの大学生活は遊び呆けるわけです。
あれと構造的には似ているけど、
1億達成後は大学受験のそれよりももっとキツイ。
なぜなら、
大学は遊ぶところで、また就職したら頑張ろう的な
社会全体のコンセンサスがなんとなく存在するから。
(この価値観自体がそもそも本質じゃないんだだけどそれは置いといて。)
大学で遊んでる当人は
「人生、強烈にダサいし不幸」
ほどの虚無感を持つことはないと思う。
みんなやってるし次のステージがあると思える。
でも社会に出て1億を稼いだなら、
その後どうするかに社会的コンセンサスはない。
大学受験の時のような、
社会が担保してくれるレールはない。
自分で新たな目標を決めないといけない。
こうやって新たに目標を0から探してる時点で、
「金融資産1億」という目標設定自体が、
ほとんど虚無に等しいものだったことの証拠だなぁと。
”ダサさ感”の根本的な原因は、「無挑戦」
人間はやっぱり、
おんなじところに留まっていると
だんだん思考が腐敗してきます。
「投資家で1億つくって人生あがったー♪」
じゃなくて、
適度なストレスがあって、
日々自分と闘っていないと張り合いがない。
人生上がるどころか下がってる気がするんだけど!
なんじゃこれと。
これは人生の段階にもよると思いますが、
僕はまだアラサーでキャリアも前半なのです。
まだまだ活火山でいないとダメです。
投資先見つけて、資金入れて、増える。
それだけやっていて、
あとは好きな時間に起きて貴族のような生活をする。
それだと、なーんかもの足りない気がしてくる。
「じゃあ家が飽きたからどっかに旅行に行こう」
とか、そういう話でもない。
「エンタメの世界に没入して、別世界を擬似体験しよう」
というのも、また飽きが来る。
そんなことを繰り返しているうちに、気づきました。
誰かが創った文化を見たり、
誰かが歩んだストーリーを擬似体験したあとは、
自分を主人公にした挑戦に変換しないとダサい。
投資家生活でこれが感じられなかったということは、
自分は投資家というスタイルで幸せになれる性格
ではない、という傾向がわかったということです。
そこに「無挑戦」感を見てしまうと、
途端に視界が灰色になってしまう。
じゃあ、自分が「ダサくない」生き方ってなんだろう?
それは一言で言うと、
新陳代謝を良くする
ということなのかなと思っています。
人間の幸せのセンターピンは、
人生に熱狂感があること。
何か興味のあることを学んで、
世界を見るフィルターを面白くして、
そしてそれをまた破壊する向上心の渦の中にいること。
やっぱりそのためには、
資産防衛!とか、節税のために待つ!とか、
いやそれも確かに大事なんですけど、
それを「ダサい」と自分が思ってしまったなら
そんな生き方やめた方がいい。
だから、今はまた
体験やQOLを上げるものに
ガンガンお金を使ってます。
そして改めて思ったのが、
コンテンツは個人でできる
出版編集熱狂ビジネスだということ。
自分というコンテンツを主人公にして、
まだまだ偏愛に熱狂したい。達観したくない。
勉強していろんなことへの抽象度があがり、
全知全能ぽいと言われることが増えたからこそ、
自分の人間らしい知的限界への挑戦を味わいたい。
こういう自分の真実と出会って、
闘える自分になる、という新たな目標ができたし、
それは一生続けることができる目標だなと改めて。
日々そうやって壊すことこそ幸せなのかもしれない。
その中で生まれた僕のコンテンツ通じて、
誰かの情景になりたいのかもしれない。
コンテンツを通じて誰かにストーリーを共有する
っていうのは、
自分が動いてストーリーを作り、
誰かの情景になるってことだと思う。
たとえばスラダンは
井上先生が戦って生み出した世界から
「情景」が見えるから時代を超えて飛んでくる。
いろんな漫画を読んでいても
やっぱりスラダンはマグマの温度が高すぎて
時代超えて僕の人生の情景になっている。
音楽だと、クリスタルキングもやばい。
僕は「裏切りの言葉」も「田舎」も知らんけど、
勝手に想像して、勝手に彼らに共鳴します。
そのコンテンツの情景が歌詞から突き刺さってきます。
彼らが「声」という武器のみでステージに立ち、
仁王立ちでそれをストレートに伝えてくる、
その姿そのものも、もはや1つの「情景」です。
こんなの歌手として、
裸みたいなもんじゃないですか。
鳥肌が止まらないのです。
少年隊もやばい。
ダンスがあまりにも本物すぎて
画像が古かろうと髪型が昭和だろうと
ダンスのスタイルが今と違おうとつい見入ってしまう。
てゆーか口パクしてないやんこの頃のアイドル。
こんなにやばいダンスしながら。
山口百恵さんもやばい。
百恵ちゃんはもはや美人ではなく、かっこいい。
顔の造形どうのこうのじゃない。
いや死ぬほどキレイだけど。
でもそういうことじゃなくて、
人生そのものを戦っている人にしか出せない
圧倒的な深い色気と、情景。
映像とか演出が古くても、
圧倒的な吸引力があってかっこいい。
多分現代のアーティストは
この振り付けでは間が持たない。
抽象度が高い本物じゃないとアートは生まれない。
・・・
自分もそんな世界を作ってみたい。
てかやっぱ昭和の骨太なコンテンツは凄すぎる。
僕はマジでアラサーです。笑
でももう、こういうのは
「見つけてしまう」ものだと思います。
この情景の渦中にさえいれば人は、
文章だけでも輝くと思っています。
どんなに文章が下手でも。
要は自分の人生という素材が、
ちゃんと新しい「情景」を連れてきてるか。
輝いているときは
新陳代謝が良くて、挑戦していて、
人生が楽しいなぁと思います。
ただの楽しいじゃないです。
おれは成長している
かっこよくなっている
誰かの光になっている
存在している
ということ。
だから結局、
遠慮なく稼いで遠慮なく使って自分の周りの新陳代謝を高めていく
というのが結局一番ストーリー生まれるカッコイイ生き方だなと。
どうせ金はあの世に連れて行けないんだから、
この世にいる間は興味が湧いたことに
ガンガンお金突っ込んで行かないとすぐ腐るなと。
はした金を溜め込んでドケチムーブかましてる場合じゃない。
自分の世界を、未来を動かすためにガンガン金使ってるか。
常に自分に問うていかないといけない。
人間は怠惰だから、すぐこれを忘れる。
いつかは何か偉大な存在を目指しながらも、
不恰好でも目先のことをちゃんと毎日やる。戦う。
それが1番自分的におもろいしかっこいいかなと。
自分から逃げない。
クリスタルキングの成り上がりにも、
スラダンの流川と花道のハイタッチにも、
ストレスがあります。
だから泣けます。
ノンストレスを求めなくなった今は
FIRE時代より圧倒的に自分に自信があります。
さらに自信を深めるために、
またこの自信を破壊しようと思います。
